カテゴリ:⑪善知識への無条件服従について( 1 )

親鸞会との問答(善知識への無条件服従について)

飛雲」から親鸞会への教義非難
11.善知識への無条件服従について

親鸞聖人 法に従うのであって、人に従うのではない
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高森会長 善知識に無条件服従せよ


これに反論した親鸞会の回答
 なし



ダンマリの親鸞会に示した問答
飛雲」の問答

問い

善知識の仰せなりとも、成るまじなんど思ふは、大きなるあさましきことなり。成らざることなりとも、仰せならば成るべきと存ずべし。(中略)しかれば道宗、近江の湖を一人してうめよと仰せ候ふとも、畏まりたると申すべく候ふ。仰せにて候はば、成らぬことあるべきかと申され候ふ。」(御一代記聞書)と蓮如上人も仰っているように、善知識に無条件服従するのは、求道者として当然の心構えではないですか。


答え


よく読んでください。ここに蓮如上人のお言葉は全くありません。『御一代記聞書』で蓮如上人の仰ったところには、「前々住上人」という主語か、「仰せられ候ふ」という尊敬語が使われています。ここにはそれがありません。従って、ここは編者の意見と道宗の言葉のみです。



問い


では、「前々住上人へある人申され候ふ。開山(親鸞)の御時のこと申され候ふ。これはいかやうの子細にて候ふと申されければ、仰せられ候ふ。われもしらぬことなり。なにごともなにごともしらぬことをも、開山のめされ候ふやうに御沙汰候ふと仰せられ候ふ。」(御一代記聞書)は、間違いなく蓮如上人のお言葉です。納得できなくても、親鸞聖人のなされた通りに無条件で従うということではないですか。


答え


蓮如上人が「大勢至の化身なり」と尊敬されていた存覚上人の『六要鈔』を引用して、他所では、「しかるに『六要鈔』には三心の字訓そのほか、「勘得せず」とあそばし、「聖人(親鸞)の宏才仰ぐべし」と候ふ。権化にて候へども、聖人の御作分をかくのごとくあそばし候ふ。まことに聖意はかりがたきむねをあらはし、自力をすてて他力を仰ぐ本意にも叶ひまうし候ふ物をや。」(御一代記聞書)とあります。存覚上人でさえ、親鸞聖人の解釈について、「判らない」と言われているのだから、聖人のお心は本当にはかりがたいが、親鸞聖人の解釈に従うべきだ、ということです。
従うのは、親鸞聖人の教え、解釈です。



問い


親鸞聖人の教え・解釈に従うのは当たり前です。蓮如上人は「開山のめされ候ふやうに御沙汰候ふ」(御一代記聞書)と仰っているのですから、教え・解釈以外のことについても、従っていくのが求道者のあるべき姿ではないですか。


答え


親鸞聖人は『大智度論』に記された釈尊のお言葉を引用されています。「今日より法に依りて人に依らざるべし(中略)法に依るとは、法に十二部あり、この法に随ふべし、人に随ふべからず。」(教行信証化土巻) 聖教に書かれた教えに従うのであって、教えと関係ない指示に従ってはならない、ということです。
聖教に書かかれてもいないことを平気で言いふらし、「阿弥陀仏・親鸞聖人の御心が判るのは高森先生だけだ」と弟子に言わせている人物には、決して従ってはならないのです。



問い


釈尊は、「善知識はこれさとりを得る大因縁なり」とか「善知識はさとりの道の全因縁である」と教えられています。善知識に無条件服従せずして、どうして獲信できるというのですか。


答え


相変わらずの断章取義です。
この2つは『往生要集』に引用されたお言葉ですが、その前提として源信僧都は「同行の、ともに嶮を渉るがごときを須ゐる。 すなはち臨終に至るまで、たがひにあひ勧励せよ。」(往生要集)と仰っています。けわしい道を共に渉るようにする同行をもとめて、そうして臨終に至るまで、互に勧め励ましあいなさい、ということです。つまり、ここでいう善知識とは同行のことであり、当然ながら、同行である善知識に無条件服従しなければならない、という意味にはなりません。



問い


なぜ、「さとりを得る大因縁」「さとりの道の全因縁」である「善知識」が、同行になるのですか。ここは、教授の善知識ではないですか。


答え


源信僧都が、この「善知識」の意味は同行、と仰っているからです。なお、サンスクリット経典を見ても、同行・善友の意味になっています。
親鸞聖人は『涅槃経』を引用されて、同様の内容を釈尊のお言葉で紹介されています。「一切衆生、阿耨多羅三藐三菩提に近づく因縁のためには、善友を先とするにはしかず。(中略)このゆゑに日に近づきにたり、善友にしくことなし」(教行信証信巻) さとりに「近づく因縁」は「善友」です。



問い


善知識の能といふは、一心一向に弥陀に帰命したてまつるべしと、ひとをすすむべきばかりなり。」(御文章2帖目第11通)と蓮如上人が仰っているように、阿弥陀仏一仏に向け、と教える善知識に従うのが当然ではありませんか。


答え


ならば、高森会長と講師部員に従ってはならないということですね。
諸行を廃してただ念仏を用ゐるがゆゑに一向といふ。」(選択本願念仏集)、「一向は余の善にうつらず、余の仏を念ぜず、専修は本願のみなをふたごころなくもつぱら修するなり。」(一念多念証文)と教えられていますように、「一心一向に弥陀に帰命したてまつるべし」とは、諸善を捨てて念仏一行になれ、ということです。
諸善を勧める悪知識には、従ってはなりません。



問い


私たちが助からないのは疑情一つ」と教える人が真の知識です。


答え


親鸞聖人は、19願・20願、そして罪福の因果の道理を信じていることを、「仏智疑惑」と仰っています。『教行信証』化土巻にそのことは書かれていますが、もっと判りやすいのが、『正像末和讃』です。「罪福信ずる行者は 仏智の不思議をうたがひて」「自力諸善のひとはみな 仏智の不思議をうたがへば」「仏智不思議をうたがひて 罪福信ずる有情は」などと仰っています。
つまり、「疑情」「仏智疑惑」を勧めて、「私たちが助からないのは疑情が足りないからだ」と叫んでいるのが高森会長ということです。
会員が助からないのは高森会長に服従しているから」と教える人が真の知識です。


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by shinrankaiuso | 2013-04-18 13:14 | ⑪善知識への無条件服従について

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⑦19願について
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⑨機の深信について
⑩法の深信について
⑪善知識への無条件服従について
⑫因果の道理について
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