カテゴリ:①一切衆生必堕無間について( 1 )

親鸞会との問答(一切衆生必堕無間について)

飛雲」から親鸞会への教義非難
1.獲信していない人の死後はどうなるか

親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生)
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高森会長 必堕無間


これに反論した親鸞会の回答
顕真平成24年5月号

問い

弥陀に救われずに死ぬ人は、六道輪廻するか、または十九願・二十願の行者は化土へ往生すると親鸞聖人は教えられているのに、地獄に堕ちるというのは間違いだと言う人がありますが、如何でしょうか。

答え

 蓮如上人は「信心決定せずは、報土往生すべからず」(『御文章』三帖目八通)と、報土に対する化土ですから、十九・二十願の行者の化土往生も排除されてはいません。 また、六道の中には無間地獄もありますから「この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして無間地獄に堕在すべきものなり」とも『御文章』(二帖目二通)にあります。


これに反論した回答
飛雲」からの反論

問い

蓮如上人は「この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして無間地獄に堕在すべきものなり」(『御文章』二帖目二通)と仰っていますから、弥陀に救われずに死ぬ人は必ず無間地獄に堕ちるということではないでしょうか。

答え

蓮如上人が、死後に無間地獄に堕ちると仰ったのは、他に一箇所しかありません。「それ、越前の国にひろまるところの秘事法門といへることは、さらに仏法にてはなし、あさましき外道の法なり。これを信ずるものはながく無間地獄に沈むべき業にて、いたづらごとなり。」(『御文章』二帖目十四通)です。この2つは同じ意味です。極楽に往生できると教えていながら異なる信心に対して、「この信心」(正しい信心)です。つまり「この信心を獲得せずば」=「これを信ずるものは」です。


問い

たとえ一箇所だろうと蓮如上人が不信心は無間地獄行きと仰っているのは否定できないではないですか。

答え

たとえ一箇所だろうと蓮如上人が異安心は無間地獄行きと仰っているのは否定できないではないですか。二帖目二通には主語がありませんが、なぜ全人類の不信心のことと断定するのですか。「死出の山路のすえ、三途の大河」(一帖目十一通)、「三途八難にしずまん事」(二帖目一通)、「五道六道といえる悪趣」(二帖目四通)との整合性もとれませんね。


問い

蓮如上人は「後生といふ事は、ながき世まで地獄にをつる事なれば」(帖外御文)と仰って、死後には地獄に堕ちると教えられていますよ。

答え

断章取義です。この前に「世間は一且の浮生、後生は永生の楽果なれば、今生はひさしくあるべき事にもあらず候」とあります。蓮如上人がここで仰っていることは、「短い人生のことよりも、永い死後の方が大事ですよ。極楽と地獄では大変な違いがあるでしょ。」ということです。


問い

親鸞聖人も「地獄は一定すみかぞかし」(歎異抄)と仰っていますから、死んだら地獄に堕ちることは間違いないのではないですか。

答え

この御心は『執持鈔』に詳しく書かれています。「われら凡夫かならず地獄におつべし」の後に、「決定悪道へゆくべかりつる身」「三悪・四趣の生をひくよりほか」「六趣・四生よりほかはすみかもなく」「三途・八難にこそしづむべけれ」と言い換えられた親鸞聖人のお言葉が紹介されています。親鸞聖人の御著書にも六道か悪道としか書かれていません。


問い

親鸞聖人は、本当は皆地獄に堕ちる、と言われたいところを、敢えて三悪道とか六道と表現を和らげられたのではないですか。皆が地獄に堕ちるのではない、と仰ったお言葉があるなら出してみてください。

答え

かなり捻くれた考え方です。親鸞聖人は関東の同行に宛てられたお手紙の中で、次のように仰っています。「ただし念仏のひと、ひがことを申し候はば、その身ひとりこそ地獄にもおち、天魔ともなり候はめ。よろづの念仏者のとがになるべしとはおぼえず候ふ。」(末灯鈔) 念仏称えているだけでは地獄に堕ちるぞ、などと嘘を教えているその人だけが地獄に堕ちるのであって、多くの念仏者の罪にはなりません、ということです。


問い

嘘を教えた者が地獄に堕ちる、とは仰っていますが、未信の同行が死後にどこどこに行く、と仰っていないではないですか。親鸞聖人が具体的なことを仰ったお言葉があるのですか。

答え

名号をとなふといふとも、他力本願を信ぜざらんは辺地に生るべし」(末灯鈔)、
安楽浄土をねがひつつ 他力の信をえぬひとは 仏智不思議をうたがひて 辺地・懈慢にとまるなり」(浄土和讃)等、たくさんありますよ。
蓮如上人も「雑行雑修の機をすてやらぬ執心あるひとは、かならず化土懈慢国に生ずるなり」(正信偈大意)と断言されています。化土往生は、真宗の常識です。


問い

理屈の上では化土往生はできることになっていますが、現実的には誰も化土往生できないのではないですか。

答え

善知識方が、「化土往生できる」と仰っているのに、根拠もなく自己の計らいを入れているのであれば、最早真宗ではありません。
親鸞聖人は「報の浄土の往生は おほからずとぞあらはせる 化土にうまるる衆生をば すくなからずとをしへたり」(高僧和讃)とまで仰っています。ただし親鸞聖人は、化土往生を願うことを厳しく誡められていますので、自分は化土往生でいいや、と思うのも真宗ではありません。

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by shinrankaiuso | 2012-06-20 18:15 | ①一切衆生必堕無間について

浄土真宗親鸞会のデタラメ教義を暴くブログ


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カテゴリ

①一切衆生必堕無間について
②五逆・謗法・闡提について
③善人・悪人について
④獲信のために善は必要か
⑤白道について
⑥定散二善について
⑦19願について
⑧宿善について
⑨機の深信について
⑩法の深信について
⑪善知識への無条件服従について
⑫因果の道理について
⑬三願転入について

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