カテゴリ:②五逆・謗法・闡提について( 2 )

親鸞会との問答(続 五逆・謗法・闡提について)

飛雲」から親鸞会への教義非難
2.五逆罪・謗法罪について

親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
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高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている


これに反論した親鸞会の回答
顕真平成24年9月号

問い

浄土真宗では、すべての人を「煩悩具足の凡夫」とか「罪悪生死の凡夫」と言われますが、
この「煩悩具足」や「罪悪生死」の中に、五逆罪や法謗罪は入らないと言う人と、入るという人とがありますが、いかがでしょうか。

答え

五逆罪も法謗罪も弥陀の本願の正機ですから、もちろんすべての人は逆謗の機です。
それを、『正信偈』には「極重悪人」と教え、『歎異抄』には「罪悪深重・煩悩熾盛の衆生を助けんがための願」と言い、
他力信心を獲得すれば万人等しく二つのことが知らされる『二種深信』の機の深信には、「自身は、現にこれ罪悪生死の凡夫(逆謗)~乃至~と深信す」と、
弥陀の救いに値えば明らかに知らされることであると説かれています。



これに反論した回答
飛雲」からの反論

問い

五逆罪も法謗罪も弥陀の本願の正機ですから、もちろんすべての人は逆謗の機です。


答え

違います。弥陀の本願の正機を悪人正機と教えられますが、これについて法然上人、親鸞聖人の御相伝として「悪凡夫を本として、善凡夫をかたはらにかねたり。かるがゆゑに傍機たる善凡夫、なほ往生せば、もつぱら正機たる悪凡夫、いかでか往生せざらん。しかれば善人なほもつて往生す、いかにいはんや悪人をやといふべし」(口伝鈔)と覚如上人は教えられています。
悪人正機とは、言い換えれば善人傍機のことです。当然ながら善人がいるということであり、すべての人が逆謗の機という意味にはなりえません。



問い

極重悪人唯称仏」(正信偈)とありますから、親鸞聖人は全人類のことを「極重悪人」と仰っているではないですか。


答え

これは源信僧都が『観無量寿経』に説かれていることを「極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に往生することを得」(往生要集)と仰り、それを親鸞聖人が言い換えられたものです。「極重の悪人」とは下品下生の者のことで、五逆罪を造り、平生に善をしたこともない者が、臨終になって初めて仏教を聞いて、ただ念仏して往生を遂げる、ということをこのように表現されました。一方で、中品下生以上の者は定散二善をして往生を遂げる、と教えられています。
一生造悪」同様、18願は悪人正機だということを仰ったものです。



問い

他力信心を獲得すれば万人等しく二つのことが知らされる『二種深信』の機の深信には、「自身は、現にこれ罪悪生死の凡夫(逆謗)~乃至~と深信す」と、弥陀の救いに値えば明らかに知らされることであると説かれていますから、すべての人は逆謗の機ではないですか。


答え

煩悩具足」と機の深信について、善導大師は『往生礼讃』に直接仰っていて、親鸞聖人も引用されています。
自身はこれ煩悩を具足せる凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知す。」(教行信証行巻・信巻)
善導大師は「煩悩を具足せる凡夫」であり、かつ「善根薄少」と仰っていますが、「善根無し」とは仰っていません。善導大師は下輩について「この三品の人、仏法・世俗の二種の善根あることなし」(観無量寿経疏)と仰っていますから、善導大師御自身は下輩でない、との告白です。もちろん下品下生の五逆の機ではない、極重の悪人ではない、ということです。



問い

機の深信では「罪悪生死」、『歎異抄』では「罪悪深重」と言われていますから、すべての人は重い罪である五逆罪・謗法罪を造っているということではないですか。


答え

単なる妄想です。『観無量寿経疏』の機の深信「罪悪生死の凡夫」が『法事讃』の機の深信「煩悩を具足せる凡夫」に当たります。「罪悪生死」=「煩悩具足」です。
また「罪悪深重」が、五逆・謗法のこととどこにも書かれていません。
その証拠に、法然上人は「われら罪業重しと云へども、いまだ五逆をばつくらず」(往生大要鈔)と仰り、聖覚法印は「われら罪業おもしといふとも五逆をばつくらず」(唯信鈔)と法然上人と同じことを言われ、親鸞聖人はこの文を御自身で書写して、同行に送って読むように勧められています。法然上人・聖覚法印・親鸞聖人は、私たちは五逆罪を造っていないと明言されています。
つまり、五逆罪・謗法罪を造っていなくても、「罪悪深重」です。



問い

本願文で機の深信に相当するのが「唯除五逆誹謗正法」と教えられているではないですか。


答え

これも妄想です。二種深信を詳しく解説された存覚上人が、『六要鈔』の中で、法の深信について本願の「若不生者不取正覚」を出されましたが、機の深信については本願文を出されていません。もちろん、善知識方も仰っていません。大沼法竜師が味わいを語った内容を教義と高森会長が勘違いしただけです。
唯除五逆誹謗正法」について親鸞聖人は、「五逆のつみびとをきらひ、誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。」(尊号真像銘文)と教えられています。五逆謗法の者も漏れず、ですから、すべての人の中に五逆謗法の者もいる、つまり五逆謗法でない者も多い、ということです。



問い

機の深信とは、逆謗の屍で地獄行き間違いなし、と知らされることではないというなら、何が知らされるのですか。


答え

日本語が理解できるなら、文字通り解釈するだけです。
なお、善導大師は機の深信を更に別の言い方で詳しく説明されています。
わが身は無際よりこのかた、他とともに同時に願を発して悪を断じ、菩薩の道を行じき。 他はことごとく身命を惜しまず。 道を行じ位を進みて、因円かに果熟して、聖を証せるもの大地微塵に踰えたり。 しかるにわれら凡夫、すなはち今日に至るまで、虚然として流浪す。 煩悩悪障は転々してますます多く、福慧は微微たること、重昏を対して明鏡に臨むがごとし。」(観無量寿経疏)
私は法友と共に無始より廃悪修善に努めてきた。その中で数えきれない多くの法友が、出離して聖者となったのに、我ら凡夫は未だ出離できず、煩悩がますます盛んになり、微々たる善しかできない、ということです。
逆謗の屍とか地獄行き間違いなしの意味など皆無です。



問い

親鸞聖人は「地獄は一定すみかぞかし」(歎異抄)と仰っていますから、機の深信とは死んだら地獄に堕ちる、とはっきり知らされることではないですか。


答え

前にも言いましたが、この御心は『執持鈔』に詳しく書かれています。「われとして浄土へまゐるべしとも、また地獄へゆくべしとも、定むべからず。」という大前提を仰った後、「われら凡夫かならず地獄におつべし」「決定悪道へゆくべかりつる身」「三悪・四趣の生をひくよりほか」「六趣・四生よりほかはすみかもなく」「三途・八難にこそしづむべけれ」と様々に言い換えられています。
阿弥陀仏に救われても死後のことがはっきりすることはないと仰っているのですから、聖教上に書かれたことを踏まえて臨機応変に、地獄だ、三悪道だ、六道だ、と親鸞聖人が使い分けられているだけです。


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by shinrankaiuso | 2012-09-19 11:20 | ②五逆・謗法・闡提について

親鸞会との問答(五逆・謗法・闡提について)

飛雲」から親鸞会への教義非難
2.五逆罪・謗法罪について

親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
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高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている


これに反論した親鸞会の回答
顕真平成24年6月号

問い

五逆罪や法謗罪は、造っている人と 造っていない人とがいると親鸞聖人は説かれているのに、全ての人が造っている罪であるいうのは間違いだと言う人がありますが、如何でしょうか。

答え

一切の群生海、無始より已来、乃至今日・今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心無く、虚仮諂偽にして真実の心無し」と『教行信証』に親鸞聖人は説かれています。
一切の群生海」とは、全ての人のことです。「清浄の心無く、真実の心無し」とは、五逆・法謗の者ということです。親鸞聖人は至る所に説かれていることで、決して珍しい事ではありません。




これに反論した回答
飛雲」からの反論

問い

親鸞聖人は「一切の群生海、無始より已来、乃至今日・今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心無く、虚仮諂偽にして真実の心無し」(教行信証信巻)と説かれています。「一切の群生海」とは、全ての人のこと、「清浄の心無く、真実の心無し」とは、五逆・法謗の者ということではないですか。


答え

親鸞聖人は清浄心のことを『涅槃経』を引用されて「心もし有漏なるを名づけて不浄といふ。仏心は無漏なるがゆゑに大浄と名づく」(教行信証真仏土巻)と教えておられます。
また「煩悩具足の衆生は、もとより真実の心なし、清浄の心なし」(尊号真像銘文)と教えられています。
つまり、煩悩に穢された心を「清浄の心無く、真実の心無し」と仰ったのであって、五逆・謗法の意味は全くありません。仏語の意味を知らないだけです。



問い

親鸞聖人は「善知識をおろかにおもひ、師をそしるものをば謗法のものと申すなり。おやをそしるものをば五逆のものと申すなり」(末灯鈔)と仰っていますから、全人類は五逆・謗法の者で、やっぱり必堕無間ではないですか。


答え

これも典型的な断章取義です。このお言葉の後に、「同座せざれと候ふなり。されば北の郡に候ひし善証房は、おやをのり、善信をやうやうにそしり候ひしかば、ちかづきむつまじくおもひ候はで、ちかづけず候ひき。」とあります。どのように読んでも、善証房のような五逆・謗法を造っている者に近付いてはならない、ということで、お手紙を受け取った関東の同行は、五逆・謗法の者ではないという前提です。



問い

では「善知識をおろかにおもひ、師をそしるものをば謗法のものと申すなり。おやをそしるものをば五逆のものと申すなり」(末灯鈔)は、間違っているというのですか。


答え

この後の「同座せざれ」を無視して解釈するするからおかしくなるのです。五逆罪・謗法罪が親鸞会の説明通りなら、親、兄弟、配偶者、子供、職場の同僚などとも、親しくしてはならず、同行同士集まることも、善知識、師に近付くことも禁じられたことになります。親鸞聖人は、一家離散、引き籠り、隠遁生活を勧められたことになり、会を作って多くの人が集まる法話や会合などもっての外ということでが、それが正しい解釈ですか。



問い

全人類が五逆謗法の者ということではないという確かなお聖教上の根拠でもあるというのですか。


答え

謗法罪については、「聖人常陸国にして専修念仏の義をひろめたまふに、おほよそ疑謗の輩は少なく、信順の族はおほし」(御伝鈔)とあります。
五逆罪については、「われら罪業おもしといふとも五逆をばつくらず」(唯信鈔)などです。この文は、法然上人が仰ったことを書かれたものですし、『唯信鈔』は親鸞聖人が自ら何度も書写されて同行に読むように勧められた書ですから、法然上人、親鸞聖人のお言葉でもあります。



問い

外見上は信順していても、心の底では信じ切れていないから、謗法罪を造っていることになるのではないですか。


答え

親鸞聖人は、曇鸞大師の『浄土論註』を引用して説明されています。「もし無仏・無仏法・無菩薩・無菩薩法といはん。かくのごときらの見をもつて、もしは心にみづから解り、もしは他に従ひてその心を受けて決定するを、みな誹謗正法と名づくと」(教行信証信巻)
謗法罪とは、仏の存在、仏の教え自体を根底から否定し、もちろん他人にもそれを言うことです。
そんな謗法の者が救われるかどうかについて「ただ正法を誹謗せしめて、さらに余の罪なしといへども、かならず生ずることを得じ」(同)と、謗法の者が救われることはないと断言されています。全人類が謗法の者なら、誰一人救われることはありません。



問い

謗法の者を救うというのが、阿弥陀仏の本願ではないですか。


答え

このことを親鸞聖人は、善導大師の『法事讃』を引用されて「謗法・闡提、回心すればみな往く」(教行信証信巻)と教えられました。謗法と闡提の者は、心を改めて、仏法を信じるようになったならば救われる、ということです。謗法と闡提のまま救われるのではありません。
ここからも、謗法の者と謗法でない者がいるというのが浄土仏教の常識と判ります。



問い

阿弥陀仏は全人類を「唯除五逆誹謗正法」と見抜かれているではないですか。


答え

嘘です。そのようなことを釈尊も七高僧方も親鸞聖人も蓮如上人も仰っていません。親鸞聖人は「五逆のつみびとをきらひ、誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。」 (尊号真像銘文)と、五逆の者も、そして謗法の者でさえも結局は漏らさずに救われる、としか教えられていません。
高森会長が、大沼法竜師の著書を盗作しただけです。



問い

仏教では心を重視するから、心で親を殺せば、五逆罪になるのではないですか。


答え

親鸞聖人は五逆罪の説明を「ことさらに思うて父を殺す」「ことさらに思うて母を殺す(教行信証信巻)とあります。単に「殺す」のではなく、「ことさらに思うて」なのです。つまり、強い意志をもって親を実際に殺すことを五逆罪というのであって、過失で殺したことでも五逆罪とはいいません。仏教で心を重視するとは、こういうことです。



問い

もとより罪体の凡夫、大小を論ぜず、三業みな罪にあらずといふことなし」(口伝鈔)と教えられているように、心で造った悪も重罪になるのではないですか。


答え

軽重関係なく三業で罪を造っているのが凡夫ということですが、三業の関係について親鸞聖人は『涅槃経』を引用して教えておられます。
一切衆生の所作の罪業におほよそ二種あり。一つには軽、二つには重なり。もし心と口とに作るはすなはち名づけて軽とす。身と口と心とに作るはすなはち名づけて重とす。」(教行信証信巻) 心と口との両方で造る罪は軽く、心と口と身との三つで造る罪は重い、ということです。ましてや、心で思っただけで重罪になるとは、何教の話でしょうか。



問い

しかし、全人類は闡提と教えられているのではないですか。


答え

これも大嘘です。親鸞聖人は『涅槃経』を引用されて教えておられます。
衆生の根性に決定あることなし。定なきをもつてのゆゑに、あるいは善根を断ず、断じをはりて還りて生ず。もしもろもろの衆生の根性定ならば、つひに先に断じて、断じをはりてまた生ぜざらん。また一闡提の輩、地獄に堕して寿命一劫なりと説くべからず。」(教行信証真仏土巻)
衆生の根性に定まったものはないから、闡提の者が闡提でなくなったり、あるいは闡提でない者が闡提になったりするのです。親鸞会の原罪思想は、仏教で教えられる空とは反するものです。



問い

人の心は変わるとしても、因果の道理は間違いないのですから、一度造った恐ろしい悪業は消せず、恐ろしい報いを必ず受けるのではないですか。


答え

親鸞聖人は「罪業もとよりかたちなし 妄想顛倒のなせるなり 心性もとよりきよけれど この世はまことのひとぞなき」(正像末和讃)と教えられました。罪に固定不変の形があると考えるのは、妄想顛倒である有の見の考え方です。
また『涅槃経』を引用されて「たとへば涅槃は有にあらず、無にあらずしてまたこれ有なるがごとし。殺もまたかくのごとし。」(教行信証信巻)とも教えられています。
有の見に凝り固まった親鸞会を否定されたのが、仏教であり親鸞聖人です。


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by shinrankaiuso | 2012-06-24 20:13 | ②五逆・謗法・闡提について

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②五逆・謗法・闡提について
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④獲信のために善は必要か
⑤白道について
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⑩法の深信について
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