カテゴリ:⑧宿善について( 1 )

親鸞会との問答(宿善について)

飛雲」から親鸞会への教義非難
8.宿善について

親鸞聖人 過去世の善根の厚薄と、往生・獲信とは関係ない
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -- - - - -
高森会長 過去世の善根の薄い者が、そのままで往生・獲信することはありえない


これに反論した親鸞会の回答
 なし



ダンマリの親鸞会に示した問答
飛雲」の問答

問い

宿善とは宿世の善根ということで、過去世に善をどれだけしてきたかによって、早く救われるかどうか決まってくるから、現在世でも善をしていくことが早く救われる近道です。


答え


宿善の理解がデタラメです。通仏教では宿善は宿世の善根という意味ですが、この意味での宿善と18願の救いとは関係ありません。
法然上人は「弥陀は、悪業深重の者を来迎し給ふちからましますとおほしめしとりて、宿善のありなしも沙汰せす、つみのふかきあさきも返りみす、たた名号となふるものの、往生するそと信しおほしめすへく候。」(拾遺語灯録)と仰っています。
親鸞聖人のお言葉として覚如上人が「機に生れつきたる善悪のふたつ、報土往生の得ともならず失ともならざる条勿論なり。」(口伝鈔)と紹介されています。
宿世の善根は、報土往生のプラスにもマイナスにもならないと断言されています。



問い


因果の道理から言っても、宿善の薄い者より、宿善の厚い者が先に救われるに決まっているではないですか。


答え


覚如上人は親鸞聖人のお言葉を承けられて、「宿善あつきひとは、今生に善をこのみ悪をおそる。宿悪おもきものは、今生に悪をこのみ善にうとし。ただ善悪のふたつをば過去の因にまかせ、往生の大益をば如来の他力にまかせて、かつて機のよきあしきに目をかけて往生の得否を定むべからずとなり。」(口伝鈔)と教えられました。
宿善を過去世の善根という意味で、宿善の厚薄は過去の因とし、往生という大きな利益は阿弥陀仏のお力にすべてをお任せするのであって、宿善の厚薄で往生できるかどうか決まるのではない、ということです。つまり、高森会長の説く因果の道理と18願の救いとは無関係です。



問い


蓮如上人は、「陽気・陰気とてあり。されば陽気をうる花ははやく開くなり、陰気とて日陰の花は遅く咲くなり。かやうに宿善も遅速あり。されば已今当の往生あり。」(御一代記聞書)と仰っているように、宿善の厚薄によって、早く救われるか遅く救われるか決まるのではないですか。


答え


これは蓮如上人の愛読書であった『安心決定鈔』の一節を言い換えられたものです。「仏の方よりは往生を成ぜしかども、衆生がこのことわりをしること不同なれば、すでに往生するひともあり、いま往生するひともあり、当に往生すべきひともあり。」とあるように、『御一代記聞書』の「宿善も遅速あり」とは、『安心決定鈔』の「衆生がこのことわりをしること不同」の言い換えですから、ここでの「宿善」とは「信心決定」のことです。
実際、『御一代記聞書』には「当流には信をとることを宿善といふ。」ともあります。
過去世の善根の厚薄によって、信心決定の遅速が決まるということではありません。信心決定に遅速があるから往生にも遅速がある、という意味です。



問い


では信心決定の遅速は、過去世の善根の厚薄以外に何で決まると言うのですか。


答え


このことについて源信僧都は「生死の因縁は不可思議なり。薄徳のものの、聞くことを得るも、その縁知りがたし。」(往生要集)と仰っています。また「上人のなかにもまた聞くこと難きものあり、凡愚のなかにもまた聞くものあり。これまたいまだ決せず。」(同)とも仰っています。
過去世の善根の厚薄で18願の教えを聞いたり聞けなかったりするような単純なものではないということです。
源信僧都でさえ判らないと仰ることを明言できるのは、仏智でも体得したつもりでしょうか。



問い


仏智を体得せられた高森先生が「諸善は信心獲得の因縁なり」と教えられているのです。善をしないで信心獲得することは、ありえないです。


答え


善導大師は悪人の定義を「仏法・世俗の二種の善根あることなし。」(観無量寿経疏)とされています。高森会長の好きな「あることなし」です。過去世においても善をしてこなかった悪人が、念仏で往生できる、と善導大師が教えられたのですが、高森会長の説では、悪人は18願によっても救われることは絶対にないことになります。しかも、全人類は悪人、と高森会長は断言しています。
親鸞聖人が、「阿弥陀仏の浄土から出られた方」と尊敬された善導大師の解釈を完全否定する智慧を体得したのが、高森会長ということですね。



問い


蓮如上人は『御文章』で「いずれの経釈によるとも、既に宿善に限れりと見えたり」(3帖目第12通)、「弥陀に帰命すというとも、信心獲得すと言うとも、宿善にあらずということなし」(4帖目第1通)、「無宿善の機に至りては力及ばず」(4帖目第8通)、「まことに宿善まかせ」(4帖目第15通)と、信心決定は宿善の有無によって決すると教えられているではないですか。


答え


蓮如上人が仰っている宿善は、過去世の善根の意味ではありません。
たとえば3帖目第12通には、「それ、当流の他力信心のひととほりをすすめんとおもはんには、まづ宿善・無宿善の機を沙汰すべし。さればいかに昔より当門徒にその名をかけたるひとなりとも、無宿善の機は信心をとりがたし。まことに宿善開発の機はおのづから信を決定すべし。されば無宿善の機のまへにおいては、正雑二行の沙汰をするときは、かへりて誹謗のもとゐとなるべきなり。」とあります。親鸞聖人の教えを信じられる人が宿善の有る人で、親鸞聖人の教えを信じられない人は宿善の無い人になります。
要するに蓮如上人が仰っていることは、信心決定は親鸞聖人の教えを信じられるかどうかによって決する、ということです。



問い


法然上人は、「頓機の者は少なく、漸機の者は多し」(和語灯録)と仰っているように、「頓機」は弥陀の救いに頓くあえる宿善の厚い人、「漸機」は救いにあうのが遅い宿善の薄い人があると教えられているではないですか。


答え


根拠の捏造です。『和語灯録』にそんなことは全く書かれていません。「頓機」「漸機」とあるは『往生浄土用心』ですが、そこには「頓機はききてやがて解る心にて候。漸機はようよう解る心にて候なり。物詣なんどをし候に、足はやき人は一時にまいりつくところへ、足おそきものは日晩しにかなわぬ様には候えども、まいる心だにも候えば、ついにはとげ候ように」とあります。教えの理解に早い人と遅い人があるが、理解の遅い人も浄土往生できる、という意味です。
判りやすくいえば、「漸機」の人は「漸機」のままで、「頓機」にならなくても救われることを仰っているのです


[PR]
by shinrankaiuso | 2013-03-10 20:56 | ⑧宿善について

浄土真宗親鸞会のデタラメ教義を暴くブログ


by shinrankaiuso

カテゴリ

①一切衆生必堕無間について
②五逆・謗法・闡提について
③善人・悪人について
④獲信のために善は必要か
⑤白道について
⑥定散二善について
⑦19願について
⑧宿善について
⑨機の深信について
⑩法の深信について
⑪善知識への無条件服従について
⑫因果の道理について
⑬三願転入について

最新の記事

親鸞会との問答(法の深信につ..
at 2014-09-26 19:22
親鸞会との問答(三願転入につ..
at 2014-09-25 02:04
親鸞会との問答(因果の道理に..
at 2013-10-12 06:15

外部リンク

その他のジャンル